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ungodly bass Twitter : malch93

Interview with OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂

前回のZero dimensional recordsの大石さんへのインタビューに引き続き、OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂の関根さんにインタビューをさせて頂きました。

お忙しい中、ご協力頂きありがとうございます!

 

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問1. OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂を始めようと思ったきっかけなどがありましたら教えてください。

 

「もともとレーベルをやる前にCircle of the Grindというファンジンを1992年から1995年ぐらいまでやっていまして。ファンジンを始める前はまだデスメタルの音源が売っているショップが少なくあってもEaracheやNuclear Blastとかのがちょろっとあるくらいでした。日本にメタルマガジンってバーンぐらにしかないんですが当時はデスメタルはおろかスラッシュメタルとかの情報も薄かったので輸入のメタルハマーとかケラングとかも買ってたりしていたんです。でも全て英語なので眺めて見るぐらいで特にこれ!ってのはなかったんです。
で、ある日、学校帰りに東京・御茶ノ水にあるディスクユニオンに行ったらNo Deceptionというファンジンが置いてあったので買って帰ったんですよ。
表紙はテキサスのDEVASTAITIONで中にはまだデビュー前のバンドのインタビューやDISMEMBERとかのデモレビューなんかが沢山載ってて。発行していた人は日本人なんですが全部英語だから辞書片手にわかんないながら片っ端から読んでみました。
それでどうやったらまだショップで売ってないようなCDやデモを買うのか教えて欲しくてそのファンジンを出している人に手紙を書いたんです。そしたら色々と丁寧に教えてくれたんですね。
それで教えてもらった通りに米ドルを銀行や郵便局で換金して稚拙な英語で手紙書いて中にドル紙幣を隠して入れて国際郵便で送ったんです。
そしたら1ヶ月ぐらいしてそのバンドから手紙がついてデモテープが届いたんですね!
最初はそりゃ感動しました。海外のバンドやってる人から直接、直筆で手紙と音源が来るんですから!
それから狂ったように毎日手紙書いてデモテープやファンジンをオーダーしました。
そのうち、ただ買うのでは物足りなくなってきて弟と弟の友達とファンジンを始めたんです。まだ僕は高校3年生だったので16歳ぐらいでした。
パソコンなんてのは超高級品だったしワープロも結構高かったので手書きで書いたりテプラで印字したの貼ったりコピーした写真やロゴなんかを貼ってむちゃくちゃ手作りのファンジンを作ったんです。
当時、日本のデスメタル・グラインド系のバンドでMULTIPLEX、HELLCHILD、ROSE ROSE、TRANSGRESSORがよく一緒にライブやっていたので見に行ってライブハウスの階段でそのファンジンを手売りしたりしました。
1号はあまりにもお粗末だったので親に頼んでワーフロ買って貰ってそれで2号からちゃんとオフセット印刷にして作ったんです。
それを国内だけでなく海外からも手紙が来たり販売したりしてるうちにトレードという事を知ったんです。
ようするにお互いの商品を交換したものを販売してお互いをサポートするという事なんです。
こっちから何冊かファンジン送って向こうから7インチやCD、デモテープとかを送って貰って。
あ、これがアンダーグラウンドなんだ、ってその時わかったというか。
そうやって僕のファンジンを世界中のバンドやファンジンとトレードをしていったんです。
最初はトレードで入荷した音源をライブハウスで手売りしていたんですがだんだんタイトル数も多くなってきたんでリストを作って配ったりして小規模な通販ディストロを始めたんです。
それがきっかけでバンドからリリースのオファーも貰うようになって初めて出した音源がスウェーデンのDERANGEDの7インチです。1993年ですね。
その時、僕はまだ学生でバイトは週末にビル掃除しかしてなかったんでレーベルやって小遣い稼いで結構必死でした。
その後、大学に行ったり個人的にも色々あってレーベルをやめようと思ったことがあったんです。
ですが、その時はC.S.S.O.ってバンドをやっていてリリースを沢山したりヨーロッパにもツアー行ったりしてレーベルやめるどころか規模が大きくなり在庫も沢山あったので辞めたくても辞めれなかった。それで1999年に中米にツアー行ったんです。
メキシコからグアテマラホンデュラスニカラグアエルサルバドルコスタリカの6カ国。
そんときにメキシコ以南の発展途上国にいってかなり衝撃を受けたんですね。
いわゆるライブハウスというとこで演奏出来たのはメキシコシティだけで後は体育館みたいなとこや倉庫やらで。
ホンデュラスなんてセキュリティが軍隊だったりニカラグアではステージ上に警察官もいたし。
とにかくまだグラインドどころか音楽の表現すら規制されているんです。
でもそういう環境でデスメタルやグラインドが好きな連中とあったりレーベルやメタルショップをやってるのを見てメタルを好きな気持ちがあればなんでも出来る!って思ったんです笑。
で、日本に帰ってきて実家の事務所の一角を借りてレコード屋を始めたんです。それがはるまげ堂なんです。
資本もないから入荷もロクに出来ない、売上も出ない、ただバンドの友達が週末集まって酒呑んでただけだったので1年ぐらいで無くなりました笑 でもそのまま通販だけは残して。
その後、大学を出た後に1年ほど新宿のレコード屋でバイトしました。
そのぐらいからネット通販が普及して便利になったりCDプレスや印刷も格段に安くなってきて低予算でもレーベルをランニングするのが楽になってようやく仕事として軌道に乗りました。
そんな感じで現在に至ります。」

 

問2.レーベル / ディストロとして25年以上活動されてきました。日本のエクストリームシーンで大きく変わった点などありますでしょうか。 

 

「確実に変わったことはインターネットの登場で情報伝達や音源の入手が驚くほど簡単になりましたね。
Emailはもちろんですが配信としてのBandcamp、Youtube、販売ではカートショップや支払いのPaypal、情報拡散ツールとしてTwitterFacebookInstagramなどなど。
しかし日本のエクストリーム系アンダーグラウンドのバンドを見る限りこれらを上手く活用しているバンドは少ないと思います。
またCD-Rメディアの登場でデモ音源がほとんどCD-Rに移行しましたが現在はデジタルではBandcamp、フィジカルではリバイバルしたカセットテープが主流ですが日本ではまだCD-Rが主流に感じます。
CD-Rは即時的なメディアとしては手軽ですか寿命が短いのでコレクションとしては弱いです。

シーンとしてはデスメタルグラインドコアブラックメタルドゥームメタルへの認知度も一般的なメタルファン層へは高くはなってますがアンダーグラウンドシーンは20年前とそんなに変わってないような気もします。一見、海外から来日するバンドも増えてるのでシーンが大きくなったように見えますが国内でのこの手のバンドはあまり増えてはいないしローカルライブの動員もそんなに変わっていないかと。
逆にエクストリームミュージックが音楽産業としてメインストリームに食い込むようになってから一般的なメタルファンからはデスメタルグラインドコアが持っていたレベルミュージックな部分はあまり関係なくなったし、アンダーグラウンドなバンドはより地下に潜った印象もあってメインストリームのメタルシーンとの格差が広がったようにも感じてます。
例えばARCH ENEMYラウドパークに出演したりしてマイケル・アモットは日本ではヒーローですが彼が昔やっていたCARNAGEは日本では評価の対象にすらなってないしその時期のメロディックデスメタルの始祖的なDISMEMBERやマイナーなとこでは EUCHARIST (AT THE GATESのドラマー、Adrianの兄弟で後にARCH ENEMYにも加入するDanielが在籍したバンド) なども日本ではARCH ENEMYよりは人気ないと思います。EUCHARISTは2枚のアルバムを1993年と1997年に発表して何度か再発されてます。哀愁を帯びたメロディとアグレッシブなビートが融合したメロディックデスメタル史に残る素晴らしい名盤なのですが残念ながら日本では一部のデスメタルファンにしか知られてないと思います。
話が少しそれましたが1988年から1991年のデスメタル黎明期のバンドがあまり紹介されなかったり評価もされないままに1993年以降のメロディックデスメタルでようやく認知されてきた感があるのでデスメタルとしてのコンテクストを欧米のようにおってはおらず現在の日本でのオールドスクールデスメタルの人気のなさに繋がっているように思えます。」

 

問3.数多く海外からデスメタルグラインドコア等のバンドを日本に招聘されてきました。いつ頃からそのような活動をされてきたのでしょうか。きっかけ等ありましたらそちらもお願い致します。

 

「最初に海外バンドの招聘に携わったのはスウェーデンデスメタルバンド、DERANGEDの2000年のジャパンツアーだったかと思います。
彼らのツアーを組んだのは名古屋の某さん (名前失念しました)というヘヴィ・スラッシュメタルバンド、DISPLEACED PERSONのマネージャーをしている方で。まったく面識はなかったのですが僕のレーベルの最初のリリースがDERANGEDだったのでそれで連絡が来たんだとは思います。当時、IN FLAMESの国内盤ブレイクがあってスウェーデンのバンドが人気あったのですがDERANGEDもスウェーデンという事だからかアルバムの日本盤がリリースされていたんです。
DERANGEDはメロデスではないのでほとんど日本では人気なかったのですが僕も彼らの音源をリリースしていた事もあってジャパンツアーの協力をしました。
たしか東名阪ツアーで4公演ぐらいやってツアーシャツやフライヤーの発注などもやったりと経費の出資まではしませんでしたがかなり親密にやったと記憶してます。
それで、そのツアーに同行し経費、チケットの売上やマーチの売れ行きなんかを勉強させてもらいました。
その後、僕は学校も卒業してレーベルでなんとかやろうとしていた頃、ポーランドのゴアグラインド、DEAD INFECTIONの再結成リリースを僕のレーベルから出していたので2003年に彼らのジャパンツアーを企画したのが最初です。
その時はC.S.S.O.も解散してBUTCHER ABCを始めていたので僕もそのバンドとしての経験も欲しくてツアーがしたかった。で、過去の経験を元にある程度、経費と売上のエスティメイトだして東名阪でDEAD INFECTIONとBUTCHER ABCのツアーを組んだんです。
結果的にはチケットの売上だけだとツアーは赤字ですがツアーマーチの売上なんかでギリギリ、ブレイクイーブンに出来る事がわかって。
それで翌年 2004年にドイツのDEADのジャパンツアー、2005年にNUNSLATHGHTERをやりました。
予算と売上、バンドへのネゴシェーションなんかも上手くいったかと思います。
それで2006年にはさらに欲が出たのかアメリカのIMPALEDとスウェーデンのGENERAL SURGERY、BUTCHER ABCの3バンドで"Gore Over Japan"と銘打って結構予算大きめに組んで東名阪をツアーしました。
結果的にはそんなに黒字にはならなかったと記憶してます。赤字だったかも知れません。
当時はまだ海外からこういった日本ではほとんど無名なアンダーグラウンドデスメタルグラインドコアのバンドのツアーはあまりなくてそれなりに動員がありマーチもかなり売れました。にしてもハコ代、レンタカー代、ホテル代 (当時はまだ安価のホステルやairbnbなどない)、高速やガス代などの移動費などのコストがかなりを占めていて黒字にするのが非常に難しいかった。
ですが旬のデスメタルグラインドコアバンドや欧米でカルトなバンドを日本に早く呼びたいという気持ちがありその翌年、アメリカのデスメタルバンド、INCANTATIONのジャパンツアーを企画しました。
結果から言うと大赤字でした。
個人的な見解ですが日本でINCANTATIONのような重く暗くキャッチーさを排除したデスメタルは現在でも日本ではあまり受け入られていません。
日本人の国民性もあるのかも知れませんがデスメタルだけでなくヘヴィメタルスラッシュメタルも日本人が好むサウンドのスタイルは欧米の好みのアンダーグラウンドの人気バンドとはあまり合致しないと思いますね。
INCANTATIONの欧米での人気と彼らのキャリアなどを考慮して予算を組んだのですが集客が見込めず、また色々なトラブルなどもありこのツアーをきっかけに招聘を辞めました。
その後、インターネットの普及や海外へ行くバンドも増えたり国内での窓口になるバンドも多くなり日本にも多くのバンドが来日するようになりました。
海外バンドの日本ツアーもこれまでの国内バンドと付き添いでレンタカー借りて移動するスタイルから海外旅行客限定のJR乗り放題パス (新幹線も可能) でバンド単体での移動、もちろんそういった事を容易にするスマホの登場というのがあります。
それ以降、僕は海外から来るバンドは基本は東京周辺のみブッキングするスタイルに変わりました。
またObliterationの所属バンドをメインに東京、横浜、長野などなどでエクストリームシリーズを月1ぐらいで開催もしています。
所属バンドの海外ツアーなどのコーディネートも合わせて行い日本から世界にも向けてプロモーションしています。」

 

問4.レーベルとしても、ディストロとしても、バンドとしても非常に精力的に活動されています。今現在の個人的な目標などありましたら教えてください。

 

「目標というか僕がどうこう出来る事ではないのですが日本にもっと多くのデスメタルバンドが出てきて欲しいです。
都道府県にデスメタルグラインドコア、ブラック、ドゥームメタルなどのバンドがそれなりの数がいれば国内バンドや海外からのバンドが各地にツアーで周れるしさらなるシーンの活性化も出来ると思っています。
あと日本のメタルファンに日本のバンドをもって知って貰いたいと思ってます。
前にも言いましたがやはり日本やアジアのエクストリームメタルシーンはメインストリームとアンダーグラウンドの格差が欧米に比べて凄く大きいと思うんです。格差というか真ん中のシーンがないというか弱いというか。
欧米はWackenみたいに何万人も入る巨大メタルフェスもあればローカルな狭いハコでツアーしたりするアンダーグラウンドシーンももちろんあって。そして中堅レベルのバンドが多数でるアンダーグラウンドのメタルフェスなどが多数あります。
中堅レベルのバンドをメインしたMaryland DeathfestやNetherlands Deathfest、Killtown Deathfestのラインナップを見て貰えればわかるのですがヘッドライナー以外、日本ではあまり知られていないバンドが多数出ていますよね。
しかし欧米はこの層が非常に厚いんですよ。その厚さはバンドの数、レーベルの数だけでなくそれを支えているファンが沢山いるという事なんです。
日本だと海外バンドの来日やメタルフェスは行く層、ローカルの日本のバンドを観に行く層はいるですがこの中堅的なバンドへの認知度、評価が空洞化してるんじゃないかと思ってるんです。
その空洞化を作る要因に1つに音楽メディアが商業誌しかなくアンダーグラウンドを紹介するかつてのファンジンのようなメディアがほとんどないからではと思ってます。
ネット時代にファンジンと思うかも知れませんがネットの情報は宣伝力が強いメディアが表に出てくるようになってるので偏ったものになりがちです。
なのでファンジンのようなメディアがない事でアンダーグラウンドの情報を伝える事がさらに難しくなっています。
メディアの偏りで音楽も表層的な部分、売れているバンドのみが評価されがちになりましたがもともとデスメタルグラインドコアブラックメタルは商業主義に対してカウンターという側面もあると思っていますし大衆(マス) にうけいれられる音楽とは全く別ものです。
音楽にはエンターテイメント性はもちろん重要ですがアートとしての表現性も同じく重要です。
商業主義に駆逐され音楽がもつアート性がなくなくなってしまってはもはやそれは音楽ではないではないか?と思うことがあります。これは音楽だけでなく全てのカルチャーに通じるものです。
ちょっと話がズレてしまいましたね汗
個人的な目標というか夢はデスメタルグラインドコアをきっかけに世界平和に繋がればと思ってます。
文化や言語や宗教、人種の壁などを超えデスメタルグラインドコアなどのエクストリームな音楽を通してお互いをリスペクトしあい、文化交流出来るような社会になれば世界はもっと良くなるかなと。音楽で世界を変える事はもちろん難しいですが少しの可能性はあると信じてます。」

 

はるまげ堂

http://www.obliteration.jp/

1月

 

7年振りくらいに正月を実家の徳島で迎える。

12月31日23時30分頃にタバコを切らし、実家の近くのコンビニに行くも誰もいなかった。

晦日独特の空気を感じた帰り道、謎に感傷深くなり、学生時代の思い出の道をプラプラ散歩していると知らぬ間に2019年を迎えていた。

年明けすぐに「ザ・ワールド・イズ・マイン」という漫画を買い、「孤狼の血」という映画をDVDで観た。どちらも年明けのめでたい空気にそぐわない、重く暴力的な内容だったが、とても面白かった。オススメ。

 

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そうこうしているうちに1月6日はLook at momentとungodlyの2マンが地元のTOONICEであった。何年も、何度も一緒にやっていて、年も近く、かなり親交の深いバンドなので、しっかりといいライブをしたいな、と。2バンドとも昨年に音源をリリースし、色んな土地を周り、パワーアップしている姿を提示できていた、と思う。より高みに登り、また必ずやりたい。

打ち上げでは、ちしさんと宇津さんのラーメン愛を感じた。PA西原さんは会計のときまでクールだった。ラーメンご馳走さまでした。本当にライブがやりやすい音の環境を作ってくれる人だ。

2マンが決まってから全然時間がなく、急ぎで自分でフライヤーを作ったが、当たり前のようにSANRINSHA蓮井さんとかには遠く及ばない。 

 

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年明けのバタバタを携え、3日後には休む暇もなくungodlyのフランスツアーが始まった。

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仕事を終えて30分後に車に乗り込み、関空へ向かい、中継地点のドバイを挟み、ドバイの空港でシャワーを浴び、目的地のパリまで20時間。

 

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パリに着く。凱旋門はもしかしたら名前の由来かもしれないが、特に思い入れもないし、時間も無いのでスルー。そのまま電車でポワティエという土地に向かい、駅に着くと今回のフランスツアーをアテンドしてくれたhylde aosが。2017年5月のジャパンツアー振りの再会だ。個人的には去年の春くらいからずっとやり取りをしていて、ようやく会えた感動があった。

早速hyldeの車に乗り込み、ライブハウスへ向かう。車内でかかっているのは爆音のモーターヘッド


ポワティエは、俺も大好きで世界的に絶大な支持を誇るカリスマブラックメタルバンドdeathspell omegaの出身地で、元deathspell omega、現MANZARなどで活躍するフランスブラックメタル界の重鎮shaxulが暖かく迎えてくれ、俺たちの代わりに物販をしてくれた。


上はバー、地下がライブハウスになっており、平日の2マンであったが人がパンパン。ライブもモッシュ有り、ダイブ有りの大盛り上がりで大盛況だった。物販もかなり売れた。思ってた以上の大成功で言うことなかった。かなり疲れが溜まっている状況であったが、俺たちもベストなライブが出来たと思う。いきなりロングセットになったので、この前の2マンでロングセットやってて良かった〜と思った。

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ポワティエはそこまで都会ではないが、めちゃくちゃいい街だった。きっとこういう音楽が根強く愛されている街なんだと思う。俺たちの音源はヨーロッパ各国で売っているのだが、すでに持っている人もいた。北海道からフランスに来て、バンドをしている日本人女性もお客さんとして来ていて、久しぶりの日本語にホッとした。ピックをあげた歳同じくらいの女の子、名前くらい聞いとけばよかった、とちょっと思ったけどまたいつか会えるだろう。それ、高松市桜町のハードオフでまとめ買いしたやつなんだ。

そして、大量のワインを色んな人からご馳走になった。ありがとう。謎にライブ直後に教会の目の前でアー写も撮ってもらった。

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ライブを終え、バンドメンバーの家に泊まらしてもらうことになった。有難い。ただ、海外はシャワーの設定が難しい。水しか出ないときは死を感じた。沢山のご飯と酒を振舞ってもらい、その日は寝た。


2日目は観光で1日フリー。そこそこいいホテルを用意してくれており、時差ボケの影響かほとんど寝ていたが、ホテル周辺の街並みをプラプラ観光。

 

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3日目はGIG。初日同様、いや、それ以上の人入りでライブハウスはパンパン。活動歴30年を誇り、世界的な知名度を持つMercyleesが一緒だった。最終日ということで自分たちの持てる力を全て振り絞るようにしっかりと演奏した。演奏中、何度か日本の友達の顔が脳裏に浮かんだ。  

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言葉はほとんど通じないが、友達もたくさん出来、音源もたくさん売れた。初日のはマグレじゃないのを確信した。持ってきてた少量のディストロが売れたのも嬉しかった。

受付に気のいいお姉さんがいて、日本の文化をとてもリスペクトしている、と言ってくれた。なんと言っていいのかわからなくて、スシ、ゲイシャ、フジヤマ!と言った。

気のいいお客さんが

「俺たちは友達と乾杯するときは必ず目を見てチアーズ、というんだ。」とフランス流のマナーを教えてくれた。

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ドイツもめちゃくちゃ良いから行った方がいいよ!と言われた。ドイツは確かに色んなフェスもあって、盛り上がっている感ある。また必ず行きたい。

 

ずっとお世話してくれたhylde aosが動画を撮ってくれていた。 

https://youtu.be/6-qh20G3QgM

https://youtu.be/kPxTgWuxwVk


そんなこんなでその日を終え、日本に向かうためまた20時間。パリの空港内のカフェで財布を落とし、死を感じだが、カフェのお兄さんが持ってくれていた。優しすぎるぞ。財布を受け取るとき、お兄さんは笑顔でなにかを喋っていた。意味はわからなかったが、俺は笑顔でメルシーと言った。アホな日本人だと思われただろう。

 

ひたすら寝て、気付いたら関西国際

キャリーバックを関西国際の喫煙所に忘れて、またもや死を感じたが、無事に放置されていた。日本人もフランス人も優しすぎるぞ。

 

また海外にも行くことあると思うけど、フランスは個人的に世界一行きたい場所だったのでまた必ず行きたい。そして、2017年のMANZAR JAPAN TOURでhylde aosやshaxulに出会うきっかけをくれたリリース元のZero dimensional recordsの大石さんに多大な感謝を。


そんなこんなで連休最終日の夜9時くらいに日本に着き、そのまま翌日は仕事し、その週は休日出勤。休日出勤したその日は六ろくカレーで過去に類を見ないほど食べた。ようやく日本に帰ってきた気がした。

そんなこんなで、ようやくゆっくりできる時間を得て、1月を振り返る余裕を取り戻す。

 

来月はずっと一緒にやりたかったKUGURIDO、2月頭に音源を出すunfaded(昨年2回連続で企画に出てくれました)、初共演のDIEAUDEと姫路で4マン。楽しみはまだまだ続く。

 

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Interview with Zero dimensional records

2018年12月某日、Zero dimensional recordsの大石さんにインタビューを試みました。

お忙しい中にも関わらず、快く応じてくれた大石さんには感謝が尽きません。

 

以下、インタビューです。

 

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問1.Zero dimensional recordsを始めようと思ったきっかけなどあれば教えてください。


設立に至る経緯は、ふとレーベルやディストロでCDをオーダーしている時、1000枚、666枚プレスなどが売り切れている中で「作ったCD全部売っちゃえば単純計算1000枚×1500円で150万円。めちゃくちゃ儲かるやんけ!」とアホな事を思ったことがきっかけです。とりあえずディストロから始めようと思い、始めたのがこれです。


問2.意外な回答で驚きました。でも、Zero dimensional recordsはレーベルとして、ディストロとしてひたすらに利益を追い求めたり、商業主義なスタンスではないように感じます。バンドに対して非常にサポーティブといいますか。そのへんに関しては、レーベルやディストロをしていく中で考え方が変わったのでしょうか。


問1の考えから早速リリース作業してCD販売しましたが、リリース結果は惨敗で特に宣伝もしていない島国のレーベルがポンとリリースしたところでまったく売れるはずもなく、借金して作ったCDは初動3枚とかでした。入荷してもひたすら溜まる在庫、仕事の給料を突っ込んでは入荷し、売れない、溜まるを繰り返し、給料日に入荷物に給料を全部突っ込んで、CD1枚売れないと飯が食えない状態が続きました。


そんな時に知り合いから

「日本ってアクティヴにやってるブラックメタルのレーベルほとんどいないから良いところに目をつけたね」

と言われ、言われてみれば、レーベル大々的にやっているところはあまりなく、ディストロを始めた時こそ、ちょうどArkha Svaあたりが出てきたことで盛り上がっていたので、国内シーンも大きいと思っていましたが、実際はすごく小さかったんですよね。ならば、もう少し何かできないか。国産バンドをいっぱいリリースして、ライヴとかできないか。そういうことを考えて日本のバンドをもっと大事にして行こう。ライヴとかをやっていれば、いずれ新人もたくさん出てくるだろう。風がなければ何も動かないので、とりあえず自分が風になって何かを動かせば、反動でまたどこかが動くだろうって感じで当時は動いていました。

たぶん一発目にバカ売れでもしてたらこのレーベルは今はもうないでしょう。


問3.確かに日本でアクティブに動いているブラックメタルのレーベルはZero dimensional recordsを除くとほぼいないのが現状ですね。そういう中で、58作リリースされてきました。やり始めた頃と今現在で、レーベルを取り巻く環境で大きく変わった点はありますか?


アンダーグラウンドなバンドが好きで、カルト的なリリースなどやろうとしていましたが、サポートの方に力を入れたことでしょうか。

今でこそやはりメジャーなバンドにあまり興味がないのですけど、日の当たってない良質なバンドにスポットを当てるように心がけるようになりました。


問4.ブラックメタルという中においても更にアンダーグラウンドな方面に目をつけられ、レーベル、ディストロ、企画主催、海外バンドの招聘と様々な活動をしておられますが、大石さんがブラックメタルを好きになったきっかけを教えて頂けるでしょうか。


これ良く聞かれるんですけど、特に衝撃を受けた作品とかあったわけじゃないんですけど、各ブラック・メタルの音源を聞いていると、今は完全に感覚がマヒしちゃいましたけど、チープでペッラペラな音から繰り出される邪悪さに嫌悪さを覚え、でも病み付きになって、CDの当時の流通の悪さに加えて手に入れたときの達成感とか色々あったかと思います。


問5.2018年はどのような1年でしたでしょうか。また2019年の目標などありましたらお願い致します。


昨年末くらいに諸事情で生活が変わってしまい、色んな所へ出かけていましたが、各所で色々貴重な体験をさせていただきました。仕事にも大変影響色濃く出るくらい色々価値観も変わり、激動の1年だったと思います。思い返してみても忙しかったですが楽しかったです。レーベルとしては何一つ成長していませんけども。

2019年は本年が比較的満足だったので、この調子でやりつつ、なんか色々催せたらなぁ・・・と思います。案はあるけど腰が重すぎるのです。


問6.毎年主催されているイベントBlack sacrificeは主要都市での開催が主になっているように思うのですが、やってみたい地方とかありますか?


出来れば地方でやりたいのです。しかし結局お客さんが入るのが主要都市になってしまうので仕方なくやってると言う感じです。

大阪はやはりホームなのではずせないところですが、普段行かない土地しか行かないようなツアーを一回やってみたいです。   


問7.日本のブラックメタルファンはあくまで海外のブラックメタルが好きで、日本のブラックメタルはあまり聞かない、みたいな話を聴いた事があるのですが、black sacrificeに出たとき、そのような感覚は全く無かったです。特に大阪ではとてもいい雰囲気でライブすることが出来ました。それはやはり大石さんが積み上げてきた信頼があるのでは、と思います。最後に大石さんが思う国産ブラックメタルの良さがあれば、教えてください。


僕がレーベルを始める前は「日本人がやるメタルは偽物」とか言ってる人がいるくらい「日本の」バンドの評価は底辺でした。企画をやった時とも「日本のバンドは絶対に見たくないのでタイムテーブルを教えてください」と連絡が来たときもありました。昨今このような事が減ってきたのは大手メディアの偏見がなくなったのと、ネットで最底辺の地下シーンもアピールできる時代ができたからかな、と思います。一番はバンドさん達がしつこく定期的に活動してくれているからであって、僕はそこをほんの少しお手伝いしているだけです。

国産ブラックの良さはやはり日本人受けするメロディーや展開かなぁ・・・と思います。

 

Zero dimensional records online shop

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