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Interview with OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂

前回のZero dimensional recordsの大石さんへのインタビューに引き続き、OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂の関根さんにインタビューをさせて頂きました。

お忙しい中、ご協力頂きありがとうございます!

 

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問1. OBLITERATION RECORDS / はるまげ堂を始めようと思ったきっかけなどがありましたら教えてください。

 

「もともとレーベルをやる前にCircle of the Grindというファンジンを1992年から1995年ぐらいまでやっていまして。ファンジンを始める前はまだデスメタルの音源が売っているショップが少なくあってもEaracheやNuclear Blastとかのがちょろっとあるくらいでした。日本にメタルマガジンってバーンぐらにしかないんですが当時はデスメタルはおろかスラッシュメタルとかの情報も薄かったので輸入のメタルハマーとかケラングとかも買ってたりしていたんです。でも全て英語なので眺めて見るぐらいで特にこれ!ってのはなかったんです。
で、ある日、学校帰りに東京・御茶ノ水にあるディスクユニオンに行ったらNo Deceptionというファンジンが置いてあったので買って帰ったんですよ。
表紙はテキサスのDEVASTAITIONで中にはまだデビュー前のバンドのインタビューやDISMEMBERとかのデモレビューなんかが沢山載ってて。発行していた人は日本人なんですが全部英語だから辞書片手にわかんないながら片っ端から読んでみました。
それでどうやったらまだショップで売ってないようなCDやデモを買うのか教えて欲しくてそのファンジンを出している人に手紙を書いたんです。そしたら色々と丁寧に教えてくれたんですね。
それで教えてもらった通りに米ドルを銀行や郵便局で換金して稚拙な英語で手紙書いて中にドル紙幣を隠して入れて国際郵便で送ったんです。
そしたら1ヶ月ぐらいしてそのバンドから手紙がついてデモテープが届いたんですね!
最初はそりゃ感動しました。海外のバンドやってる人から直接、直筆で手紙と音源が来るんですから!
それから狂ったように毎日手紙書いてデモテープやファンジンをオーダーしました。
そのうち、ただ買うのでは物足りなくなってきて弟と弟の友達とファンジンを始めたんです。まだ僕は高校3年生だったので16歳ぐらいでした。
パソコンなんてのは超高級品だったしワープロも結構高かったので手書きで書いたりテプラで印字したの貼ったりコピーした写真やロゴなんかを貼ってむちゃくちゃ手作りのファンジンを作ったんです。
当時、日本のデスメタル・グラインド系のバンドでMULTIPLEX、HELLCHILD、ROSE ROSE、TRANSGRESSORがよく一緒にライブやっていたので見に行ってライブハウスの階段でそのファンジンを手売りしたりしました。
1号はあまりにもお粗末だったので親に頼んでワーフロ買って貰ってそれで2号からちゃんとオフセット印刷にして作ったんです。
それを国内だけでなく海外からも手紙が来たり販売したりしてるうちにトレードという事を知ったんです。
ようするにお互いの商品を交換したものを販売してお互いをサポートするという事なんです。
こっちから何冊かファンジン送って向こうから7インチやCD、デモテープとかを送って貰って。
あ、これがアンダーグラウンドなんだ、ってその時わかったというか。
そうやって僕のファンジンを世界中のバンドやファンジンとトレードをしていったんです。
最初はトレードで入荷した音源をライブハウスで手売りしていたんですがだんだんタイトル数も多くなってきたんでリストを作って配ったりして小規模な通販ディストロを始めたんです。
それがきっかけでバンドからリリースのオファーも貰うようになって初めて出した音源がスウェーデンのDERANGEDの7インチです。1993年ですね。
その時、僕はまだ学生でバイトは週末にビル掃除しかしてなかったんでレーベルやって小遣い稼いで結構必死でした。
その後、大学に行ったり個人的にも色々あってレーベルをやめようと思ったことがあったんです。
ですが、その時はC.S.S.O.ってバンドをやっていてリリースを沢山したりヨーロッパにもツアー行ったりしてレーベルやめるどころか規模が大きくなり在庫も沢山あったので辞めたくても辞めれなかった。それで1999年に中米にツアー行ったんです。
メキシコからグアテマラホンデュラスニカラグアエルサルバドルコスタリカの6カ国。
そんときにメキシコ以南の発展途上国にいってかなり衝撃を受けたんですね。
いわゆるライブハウスというとこで演奏出来たのはメキシコシティだけで後は体育館みたいなとこや倉庫やらで。
ホンデュラスなんてセキュリティが軍隊だったりニカラグアではステージ上に警察官もいたし。
とにかくまだグラインドどころか音楽の表現すら規制されているんです。
でもそういう環境でデスメタルやグラインドが好きな連中とあったりレーベルやメタルショップをやってるのを見てメタルを好きな気持ちがあればなんでも出来る!って思ったんです笑。
で、日本に帰ってきて実家の事務所の一角を借りてレコード屋を始めたんです。それがはるまげ堂なんです。
資本もないから入荷もロクに出来ない、売上も出ない、ただバンドの友達が週末集まって酒呑んでただけだったので1年ぐらいで無くなりました笑 でもそのまま通販だけは残して。
その後、大学を出た後に1年ほど新宿のレコード屋でバイトしました。
そのぐらいからネット通販が普及して便利になったりCDプレスや印刷も格段に安くなってきて低予算でもレーベルをランニングするのが楽になってようやく仕事として軌道に乗りました。
そんな感じで現在に至ります。」

 

問2.レーベル / ディストロとして25年以上活動されてきました。日本のエクストリームシーンで大きく変わった点などありますでしょうか。 

 

「確実に変わったことはインターネットの登場で情報伝達や音源の入手が驚くほど簡単になりましたね。
Emailはもちろんですが配信としてのBandcamp、Youtube、販売ではカートショップや支払いのPaypal、情報拡散ツールとしてTwitterFacebookInstagramなどなど。
しかし日本のエクストリーム系アンダーグラウンドのバンドを見る限りこれらを上手く活用しているバンドは少ないと思います。
またCD-Rメディアの登場でデモ音源がほとんどCD-Rに移行しましたが現在はデジタルではBandcamp、フィジカルではリバイバルしたカセットテープが主流ですが日本ではまだCD-Rが主流に感じます。
CD-Rは即時的なメディアとしては手軽ですか寿命が短いのでコレクションとしては弱いです。

シーンとしてはデスメタルグラインドコアブラックメタルドゥームメタルへの認知度も一般的なメタルファン層へは高くはなってますがアンダーグラウンドシーンは20年前とそんなに変わってないような気もします。一見、海外から来日するバンドも増えてるのでシーンが大きくなったように見えますが国内でのこの手のバンドはあまり増えてはいないしローカルライブの動員もそんなに変わっていないかと。
逆にエクストリームミュージックが音楽産業としてメインストリームに食い込むようになってから一般的なメタルファンからはデスメタルグラインドコアが持っていたレベルミュージックな部分はあまり関係なくなったし、アンダーグラウンドなバンドはより地下に潜った印象もあってメインストリームのメタルシーンとの格差が広がったようにも感じてます。
例えばARCH ENEMYラウドパークに出演したりしてマイケル・アモットは日本ではヒーローですが彼が昔やっていたCARNAGEは日本では評価の対象にすらなってないしその時期のメロディックデスメタルの始祖的なDISMEMBERやマイナーなとこでは EUCHARIST (AT THE GATESのドラマー、Adrianの兄弟で後にARCH ENEMYにも加入するDanielが在籍したバンド) なども日本ではARCH ENEMYよりは人気ないと思います。EUCHARISTは2枚のアルバムを1993年と1997年に発表して何度か再発されてます。哀愁を帯びたメロディとアグレッシブなビートが融合したメロディックデスメタル史に残る素晴らしい名盤なのですが残念ながら日本では一部のデスメタルファンにしか知られてないと思います。
話が少しそれましたが1988年から1991年のデスメタル黎明期のバンドがあまり紹介されなかったり評価もされないままに1993年以降のメロディックデスメタルでようやく認知されてきた感があるのでデスメタルとしてのコンテクストを欧米のようにおってはおらず現在の日本でのオールドスクールデスメタルの人気のなさに繋がっているように思えます。」

 

問3.数多く海外からデスメタルグラインドコア等のバンドを日本に招聘されてきました。いつ頃からそのような活動をされてきたのでしょうか。きっかけ等ありましたらそちらもお願い致します。

 

「最初に海外バンドの招聘に携わったのはスウェーデンデスメタルバンド、DERANGEDの2000年のジャパンツアーだったかと思います。
彼らのツアーを組んだのは名古屋の某さん (名前失念しました)というヘヴィ・スラッシュメタルバンド、DISPLEACED PERSONのマネージャーをしている方で。まったく面識はなかったのですが僕のレーベルの最初のリリースがDERANGEDだったのでそれで連絡が来たんだとは思います。当時、IN FLAMESの国内盤ブレイクがあってスウェーデンのバンドが人気あったのですがDERANGEDもスウェーデンという事だからかアルバムの日本盤がリリースされていたんです。
DERANGEDはメロデスではないのでほとんど日本では人気なかったのですが僕も彼らの音源をリリースしていた事もあってジャパンツアーの協力をしました。
たしか東名阪ツアーで4公演ぐらいやってツアーシャツやフライヤーの発注などもやったりと経費の出資まではしませんでしたがかなり親密にやったと記憶してます。
それで、そのツアーに同行し経費、チケットの売上やマーチの売れ行きなんかを勉強させてもらいました。
その後、僕は学校も卒業してレーベルでなんとかやろうとしていた頃、ポーランドのゴアグラインド、DEAD INFECTIONの再結成リリースを僕のレーベルから出していたので2003年に彼らのジャパンツアーを企画したのが最初です。
その時はC.S.S.O.も解散してBUTCHER ABCを始めていたので僕もそのバンドとしての経験も欲しくてツアーがしたかった。で、過去の経験を元にある程度、経費と売上のエスティメイトだして東名阪でDEAD INFECTIONとBUTCHER ABCのツアーを組んだんです。
結果的にはチケットの売上だけだとツアーは赤字ですがツアーマーチの売上なんかでギリギリ、ブレイクイーブンに出来る事がわかって。
それで翌年 2004年にドイツのDEADのジャパンツアー、2005年にNUNSLATHGHTERをやりました。
予算と売上、バンドへのネゴシェーションなんかも上手くいったかと思います。
それで2006年にはさらに欲が出たのかアメリカのIMPALEDとスウェーデンのGENERAL SURGERY、BUTCHER ABCの3バンドで"Gore Over Japan"と銘打って結構予算大きめに組んで東名阪をツアーしました。
結果的にはそんなに黒字にはならなかったと記憶してます。赤字だったかも知れません。
当時はまだ海外からこういった日本ではほとんど無名なアンダーグラウンドデスメタルグラインドコアのバンドのツアーはあまりなくてそれなりに動員がありマーチもかなり売れました。にしてもハコ代、レンタカー代、ホテル代 (当時はまだ安価のホステルやairbnbなどない)、高速やガス代などの移動費などのコストがかなりを占めていて黒字にするのが非常に難しいかった。
ですが旬のデスメタルグラインドコアバンドや欧米でカルトなバンドを日本に早く呼びたいという気持ちがありその翌年、アメリカのデスメタルバンド、INCANTATIONのジャパンツアーを企画しました。
結果から言うと大赤字でした。
個人的な見解ですが日本でINCANTATIONのような重く暗くキャッチーさを排除したデスメタルは現在でも日本ではあまり受け入られていません。
日本人の国民性もあるのかも知れませんがデスメタルだけでなくヘヴィメタルスラッシュメタルも日本人が好むサウンドのスタイルは欧米の好みのアンダーグラウンドの人気バンドとはあまり合致しないと思いますね。
INCANTATIONの欧米での人気と彼らのキャリアなどを考慮して予算を組んだのですが集客が見込めず、また色々なトラブルなどもありこのツアーをきっかけに招聘を辞めました。
その後、インターネットの普及や海外へ行くバンドも増えたり国内での窓口になるバンドも多くなり日本にも多くのバンドが来日するようになりました。
海外バンドの日本ツアーもこれまでの国内バンドと付き添いでレンタカー借りて移動するスタイルから海外旅行客限定のJR乗り放題パス (新幹線も可能) でバンド単体での移動、もちろんそういった事を容易にするスマホの登場というのがあります。
それ以降、僕は海外から来るバンドは基本は東京周辺のみブッキングするスタイルに変わりました。
またObliterationの所属バンドをメインに東京、横浜、長野などなどでエクストリームシリーズを月1ぐらいで開催もしています。
所属バンドの海外ツアーなどのコーディネートも合わせて行い日本から世界にも向けてプロモーションしています。」

 

問4.レーベルとしても、ディストロとしても、バンドとしても非常に精力的に活動されています。今現在の個人的な目標などありましたら教えてください。

 

「目標というか僕がどうこう出来る事ではないのですが日本にもっと多くのデスメタルバンドが出てきて欲しいです。
都道府県にデスメタルグラインドコア、ブラック、ドゥームメタルなどのバンドがそれなりの数がいれば国内バンドや海外からのバンドが各地にツアーで周れるしさらなるシーンの活性化も出来ると思っています。
あと日本のメタルファンに日本のバンドをもって知って貰いたいと思ってます。
前にも言いましたがやはり日本やアジアのエクストリームメタルシーンはメインストリームとアンダーグラウンドの格差が欧米に比べて凄く大きいと思うんです。格差というか真ん中のシーンがないというか弱いというか。
欧米はWackenみたいに何万人も入る巨大メタルフェスもあればローカルな狭いハコでツアーしたりするアンダーグラウンドシーンももちろんあって。そして中堅レベルのバンドが多数でるアンダーグラウンドのメタルフェスなどが多数あります。
中堅レベルのバンドをメインしたMaryland DeathfestやNetherlands Deathfest、Killtown Deathfestのラインナップを見て貰えればわかるのですがヘッドライナー以外、日本ではあまり知られていないバンドが多数出ていますよね。
しかし欧米はこの層が非常に厚いんですよ。その厚さはバンドの数、レーベルの数だけでなくそれを支えているファンが沢山いるという事なんです。
日本だと海外バンドの来日やメタルフェスは行く層、ローカルの日本のバンドを観に行く層はいるですがこの中堅的なバンドへの認知度、評価が空洞化してるんじゃないかと思ってるんです。
その空洞化を作る要因に1つに音楽メディアが商業誌しかなくアンダーグラウンドを紹介するかつてのファンジンのようなメディアがほとんどないからではと思ってます。
ネット時代にファンジンと思うかも知れませんがネットの情報は宣伝力が強いメディアが表に出てくるようになってるので偏ったものになりがちです。
なのでファンジンのようなメディアがない事でアンダーグラウンドの情報を伝える事がさらに難しくなっています。
メディアの偏りで音楽も表層的な部分、売れているバンドのみが評価されがちになりましたがもともとデスメタルグラインドコアブラックメタルは商業主義に対してカウンターという側面もあると思っていますし大衆(マス) にうけいれられる音楽とは全く別ものです。
音楽にはエンターテイメント性はもちろん重要ですがアートとしての表現性も同じく重要です。
商業主義に駆逐され音楽がもつアート性がなくなくなってしまってはもはやそれは音楽ではないではないか?と思うことがあります。これは音楽だけでなく全てのカルチャーに通じるものです。
ちょっと話がズレてしまいましたね汗
個人的な目標というか夢はデスメタルグラインドコアをきっかけに世界平和に繋がればと思ってます。
文化や言語や宗教、人種の壁などを超えデスメタルグラインドコアなどのエクストリームな音楽を通してお互いをリスペクトしあい、文化交流出来るような社会になれば世界はもっと良くなるかなと。音楽で世界を変える事はもちろん難しいですが少しの可能性はあると信じてます。」

 

はるまげ堂

http://www.obliteration.jp/